MAID:医療介助による死の選択
文・野口洋美
「死ぬ権利」という「選択肢」が家族に与えるインパクトについて考える機会があった。人が「死」を権利として選んだ時、家族はどのような葛藤をかかえることになるのだろうか。
医療の選択肢としての死
夫の弟から電話が入った。90歳を迎えたばかりの義母が、主治医を通しMAIDを申請したという。MAIDとは、メディカル・アシスタンス・イン・ダイイング(Medical Assistance in Dying)の頭文字だ。日本語では医療介助死と訳されるが、日本で合法化される兆しはない。一方カナダでは「末期患者の緩和ケアのひとつとして死を選ぶ権利」が認められている。申請できるのは18歳以上で意思を明確に示す能力があると認められれば、家族の同意は必要ない。
肺がんを抱えた義母に認知症状は認められないので、申請が受理されれば、「受け入れ体制」が整うまで最短2週間だという。
1月初旬から日本に滞在していた夫は、母の突然の決意にうろたえた。ほんの数ヶ月前、3年ぶりに家族全員が集まったクリスマスで元気な姿を見たばかりなのに…。急いで義母に電話すると、お気に入りのワインを片手に上機嫌だ。義母の側には夫の末の弟がいた。孫たちも入れ代わり立ち代わり訪れているという。
MAIDの申請によって、義母は家族とのクオリティ・タイムを手に入れた。だが夫は、何をどう考えてよいのかわからない様子で、とるものもとりあえずカナダに戻ることにした。
映画「プラン75」
義母の決断に、私はある映画のストーリーを思い起こした。倍賞千恵子主演の映画「プラン75」は、75歳以上の高齢者に「死の選択肢」が与えられた近未来を描いたフィクションだ。残りの人生を福祉に頼らざるをえない後期高齢者に対し、10万円の支度金を用意することで死の選択を促す国家政策を78歳の女性の視点から描いた作品で、2022年5月のカンヌ映画祭では新人監督賞を受賞している。
「プラン75」に登場する高齢者たちは、一人暮らしのお年寄りだ。映画の後半では、プラン75の申請を担当する公務員が、クライアントとして偶然再会した叔父に感じる「いとおしさ」や、主人公が申請を取り下げないよう配属された女性カウンセラーが、電話での交流を重ねた結果、主人公に対して抱きはじめる「いつくしみ」がていねいに描かれ、「人生の最後における人と人との関わりの大切さ」を伝えていた。
MAIDと家族
親しい友人に母親のMAIDを経験した女性がいる。彼女は母親の死の選択を未だ受け入れられず、「もし私がもっといい娘だったら、母は死を選ばなかったのではないか」という思いを拭い去ることができないと話す。彼女はまた「医療上の条件さえ満たせば、本人の希望のみでMAIDを許すシステム」にも疑問を投げかける。「治る見込みのない病に苦しむ人々が『死によって自由を手に入れたい』と思うことを批判しているのではない」と前置きした上で友人はこう続けた。「家族が選んだMAIDによって苦しんでいる者は、自分の他にもいるはずだ
2016年6月に合法化されてから2018年までの2年半でMAIDを選んだ人が約5千人であったのに対し、2019年、2020年の2年間には1万5千人が、さらに2021年には1万人を超える人々が、この制度を利用した(1)。
「人々が苦しみから逃れるため、ますますMAIDに頼っていることに不安を禁じ得ない」と友人は訴える。
終活ノート
私はこの数年、財産の処分や遺書の作成などに励んでおり、「母親が死んだ後のこと」について3人の娘たちと話す機会を大切にしている。
私の終活ノートには、「『医療の選択肢としての死』について家族と語り合っておくこと」が加えられた。自分が手に入れる「死という自由」のために娘たちが苦しむようなことがあってはならない。「死を選ぶ権利」と同時に「死を選ぶ責任」もあらかじめ見据えておきたいと思ったのだ。
「プラン75」では、家族を失い、仕事を失い、親友を失った主人公が、悩んだ末に辿りついた「死の選択」を、まさにその「死の床」で撤回した。「生きること」を選び直したのだ。 義母のMAIDプランは着実に進んでいる。申請は受理され、義母は「旅立ちの日」を自ら選んだ。夫のカナダ到着から5日後だ。夫は何も語らない。母親のプランに「ただただ寄り添いたい」と思っているようだ。
(1) https://www.canada.ca/en/health-canada/services/medical-assistance-dying/annual-report-2021.html#a1