テレビの影響力:視聴者の稚拙化か知的好奇心の刺激か

文・嘉納もも・ポドルスキー

我が家では、玄関から入ってすぐのリビングルームに大きなテレビがドーンと置いてある。カナダのインテリアでは珍しい配置かも知れないが、この家に入居した当初からとにかくそこにあるのだ。

以前はこのテレビでNHLホッケーの試合やニュースを観ていたのだが、最近ではもっぱらネットフリックスやアマゾン・プライムなどのサブスクリプションで映画やドラマを観るための「スクリーン」と化している。おそらく他の多くの家庭でも同じようことが起こっているのだろうが、本当に「テレビ(番組)」を観なくなったなあ、と思う。

いっぽう、つい最近まで母の住んでいた神戸の実家では一日中テレビが点いていた。現在、母は施設に移っているが、そこでも朝になるととりあえずテレビを点ける、というのが彼女の日課だ。日本ではまだまだテレビを観る人(特に高齢者の場合)が多いように感じる。

ところで読者の皆さんはどう思われているのか分からないが、私は日本のテレビ番組が年々、稚拙になっているように感じられてならない。最も気になるのが「ゆるキャラ」に代表される着ぐるみの人形や、CGによってスクリーン上に映し出されるキャラクターが多用されていることだ。それぞれに妙な声や言葉遣いで、れっきとしたニュース番組に出て来てはくだらない茶々を入れる。子供番組ならまだしも、大人向けの番組でどうしてこのような演出が必要なのか、理解に苦しむ。

結果的に母の部屋でテレビが点いていても、私はほとんど観ないようにしている。

ところが、である。そんな私が家事をしながら、あるいは移動中の電車の中で、フランスのテレビ番組をスマホでしょっちゅう観ているのだ。正確に言うとスクリーンには目を向けずにポッドキャストのように音声だけを聴いているのだが、家族にも「中毒じゃないのか」と心配されるほど熱心に毎日、視聴している。

発端は2020年のコロナ・パンデミックの時期にある。未曽有の公衆衛生危機に脅かされ、まだ不安で一杯だったあの頃、北米や日本以外の国でコロナ禍がどのように受け止められているのかが知りたかった。そこで「TV5」というチャンネルでフランスのニュースやトーク番組を観始めたのである。(これについては2021年11月の記事を参照されたい

最初は情報収集のためだったのが、そのうち純粋にフランス語の響きやフランス人の話し方を心地よく感じるようになった。番組内容の質の高さにも感心させられ、中でも「C dans l’air」という日替わりのテーマでパネルディスカッションを展開する番組のファンになった。招かれる専門家たちもさることながら、抜群のタイミングと話術で議論を統制する司会者(Caroline RouxとAxel Le Tarle)達に惹かれ、いつしかこの番組は私の日常生活の欠かせない一部となっていたのである。

最近、フランスで最も話題となっているのはパリでまもなく開催されるオリンピックではなく、マクロン大統領によっていきなり招集された国民議会の選挙である。私は通常、政治にほとんど興味を持たないのだが、キャロリーヌやアクセルたちのおかげでフランスの政治家や様々な政策にやたら詳しくなり、おのずと関心も高まっている。

カナダのトルードー首相に関しては「外見は悪くないが、言うことは信頼できない」という大雑把なイメージを持つ程度で、それ以上知りたいと思わない。日本の岸田首相については、たまにネットのニュースで見出しを拾い読みした程度の知識しかない。だがフランスの若き首相、ガブリエル・アタルのこととなると、私は彼の生い立ちから最新の討論における発言までもすぐに思い浮かべることができるのだ。自分でも不思議である。

この度の選挙の一回目投票が目前に迫り、私がどれだけドキドキとしているのか夫も息子たちも全く知る由がない。アタル首相の宿敵、弱冠28歳のジョルダン・バルデラ党首の率いる極右派「国民連合」が予測通り議席の過半数を占めることになるのか。勢いを増している左翼の「新人民戦線」がそれを阻止するのか。与党連合がそのどちらにも屈辱的な敗北を期した場合、マクロン大統領は果たして辞任に追い込まれるのか。

幼少期を過ごした、というだけで現在は縁のない国であるにも関わらず、ここまで私のフランスへの思い入れが再燃したのは間違いなくテレビのおかげである。フランスに限らず、視聴者の知的好奇心をそそるようなコンテンツさえ提供してくれたら、テレビの役割はまだまだあるはずなのに…

などと考えながらアタル首相の「X」投稿を今日もくまなくチェックしている私である。