日本とカナダ、それぞれの住みやすさを考えてみた
文・広瀬直子
約25年間、カナダのトロントで生活したのち、諸事情あって日本の京都にリターン永住して5年を超えた。どちらの生活の方が良いか、という質問をよく受ける。実際の人間の生活は複雑な要素が絡み合って成っているので単純に白黒つけられるものではないが、それぞれの生活の良いところと悪いところを考えてみた。
日本に帰ってきて良かったことは何かな、と考えて最初に思いつくのは食べ物のおいしさだ。食い意地が張っているのがバレるが、ユネスコの無形文化遺産である「和食」をいつでも堪能できるのは、私にとってはQOL(生活の質)の構成要素として大事である。しかも昨今、イタリアンや中華など和食以外の料理も、同じ値段でも、へたすれば現地よりも美味しい。トロントも食文化の豊かな街ではあるが、やはりこの面では京都に軍配が上がる。
コンビニやドラッグストアがそこらじゅうにあるのも妙にありがたい。カナダでは、あちこちに散在するShoppers Drugmart (ショッパーズ)で、薬の他にも食料や日用品を購入したり郵便サービスを利用していたが、京都のまちなかのコンビニの人口ひとり当たりの数は、トロントのショッパーズのそれより絶対に多い。よって、京都の方が買い物や配送を楽にすませることができる。
天候もQOLを左右する大きな要素だ。京都の冬は、冬が厳しいトロントに比べて暖かくて楽なのはありがたいが、地球の温暖化という大惨事が関わっていると思うと単純に喜んではいけない気がする。それに、京都の夏の暑さがキツイのと、日本の自然災害の多さを考えると、天候の良し悪しは、トロントと京都ではタイであると思うようになった。
トロントに軍配が上がる要素もけっこうある。京都はゴミ出しの規則が厳しい。碁盤の目の1ブロックごとに組織されている、「町内」の一定の場所にゴミ出し場が決められている上に朝の6時から8時の間にしか出せない。トロントでは自宅の玄関前に前日の晩から出しておけば良かったので、ゴミ出しのために早起きしなくてはならない今は、私のような朝が苦手な人にはウザい。
次は京都とトロントに限ったことではなく日本と北米の違い。日本では駐車場に車を停める時、暗黙のルールに緊張する。日本では車のほとんどが、バックで狭いスペースにキチンとまっすぐ駐車し、サイドミラーをきれいに折りたたんでいる。北米の駐車場はスペースがもっとあるためか、フロントから斜めに入れていても気にしないドライバーが多く、私もその類だった。
暗黙のものも含め、こうしたルールに反映されているように、日本はなにかと厳しくて細かい。そして往々にして「ルールを守る」ことが、合理的であるかどうかに優先されている。
それは、校則を守らされる子供時代からすでに日本人に叩き込まれている気がする。私は大学の学部まで日本で教育を受けたが、ありがたいことに、たまたまであるが、校則が厳しい学校に通ったことがない。そしてカナダに長年住んでいたためか、日本で、画一的な外見の制服姿の子供たちが歩いているのを見ると、軍隊のようでゾッとする。制服の丈、髪の長さや色まで校則で決められているのだろう。
自分を他の人と同じような外見にすることを子供時代から教え込むことは、律儀にルールを守れる従順な人を育てるのに役立つのかもしれない。食べ物が美味しかったり、サービスが良かったりするのも、労働者がよく躾けられているからかもしれない。しかし、「どうしてそのルールを守ることが必要なのか」と考える力のある人は育ちにくいだろう。細かいルールで人を締め付けている社会からは、イノベーションとかクリエイティビティは生まれにくいのではないか。
もともと私は、リクルートスーツを着て就職活動をするのが性に合わなかったことが、カナダに移住したメインの理由だった。現在の日本での生活では、ゴミ出しと駐車以外に窮屈な思いをすることはあまりないが、それは私が一度日本の外に出て「外国に長い間住んでいた広瀬さん」という独特なポジションを獲得しているため、ずっと日本に住んでいる日本人と同じだけキチンとしていなくても許されるからだろう。
とはいっても、周囲の息苦しさは私にも伝わってくる。日本の社会の窮屈さに少し辟易としているのも正直なところである。
