日本の幼い子供にもっとスポーツを
文・鈴木典子
2024年9月1日の日経新聞夕刊の記事に「パリオリンピックで見えた日本のスポーツ発展の処方箋」(安田秀一記 注1)があった。
スーパーボウル(NFL全米フットボールの決勝リーグ)を思わせるフランスの枠を超えた世界の人気者が登場した開会式や、一切新しい「ハコモノ(施設)」を作らなかったこと、比較して東京五輪が新規施設をまだ再利用できていないことなどを紹介している。欧州で実施された五輪が、本来の「メジャー競技とマイナー競技の垣根を取り払い、収益を最大化して再分配している」という指摘は、本当にそうだなと思わされた。
日本のスポーツはどうかというと、安田氏は、プロではエンタテイメントとして成功している野球、サッカー、アメフト(アメリカンフットボール)などは、競技人口の低下に苦しんでいるそうだ。その原因の一つに、アマチュアの競技人口の多くを占める部活動の活動原資の大半が「家計すなわち各家庭からいただく部費」や用具費・合宿費などであることが大きいと指摘している。
「欧米ではそもそも文化だったり娯楽だったりするスポーツ」が、日本では「プロスポーツ以外は教育と言う行政区分に属してしまう」ことが課題だというのだ。アマチュアスポーツについては部活動はもちろん、スポーツ庁や日本オリンピック委員会、各種競技団体も文部科学省の管轄で、スポーツは教育の一環として位置づけられている。安田氏は「スポーツを教育という枠から外」し、娯楽として「収益をあらゆる領域に再分配する仕組みを作ること」を推奨している。それが欧米では実現されている、ということなのだろう。
一方、9月13日の日経新聞には、「子供にもっとスポーツを」というコラムがあった(プロトレイルランナー鏑木毅 注2)。こちらでは五輪のメダル数を人口当たりで比較している。東京五輪では日本はメダル数は3位だが、人口当たりで計算すると「ニュージーランド、オランダ、ハンガリーといった欧州を中心とした国々が入ってきて、日本は上位にならない」のだそうだ。
その原因として鏑木氏は、欧州では「子供がスポーツで汗を流す光景は当たり前の日常」で、「生涯にわたる体力をつけられるのは幼少期だけ」で、勉強は「基礎さえ押さえておけば後で取り返しがつく」と考えているのだという。例えばノルウェーでは「全国大会の開催、ウェブサイトでの個人の成績を掲載することは12歳までは禁止されているという」。結果を競うよりも「楽しみ、好きになるという流れをつくろうとしているように思える」と書いている。
日本では、小学校には部活動は無いが、民間のクラブチームによる全国大会は多くの競技で実施されており、一昨年2022年に柔道連盟が小学生の全国大会を廃止して以来、いくつかの競技で廃止が検討・実施されてきている(「小学生スポーツ」の全国大会に見直しが必要な訳 注3)程度だ。一方で、小中学生がトップクラスを占めているスケートボードでは、選手たちは本当に楽しそうにやっているし、他人と比較するのではなく、自分がどのくらいハイレベルな演技ができるかに挑戦し、自分よりも技術や精神力が上であった選手を心から祝福しているように見える。このような個人競技、特に娯楽として始まったストリート・スポーツ系では、柔道のように相手を倒す競技に比べて、他人と競うよりスポーツを楽しむことが自然なのだろう。
日本では部活動を学校から地域のスポーツクラブに移行する動きが本格化しているが、たとえ学校を離れたとしてもスポーツが教育の場であるという考え方が変わらない限り、日本の幼い子供たちがスポーツを楽しむようになるまでには道のりは険しいのかもしれない。
注1:「パリオリンピックで見えた日本のスポーツ発展の処方箋」安田秀一 日経新聞SPORTSデモクラシー 2024年9月1日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQODH228ZV0S4A820C2000000/
注2:子供にもっとスポーツを: 鏑木毅 日経新聞 今日も走ろう 2024年9月13日 [会員限定記事] https://www.nikkei.com/article/DGKKZO83438660T10C24A9KNTP00/ 全文は別紙参照
注3:「小学生スポーツ」の全国大会に見直しが必要な訳 東洋経済新聞 2022年4月14日https://toyokeizai.net/articles/-/581173
