バックカメラに映るもの
文・嘉納もも・ポドルスキー
先月、我が家に二人の息子たちが週末を利用して戻って来た際、少しショッキングなことが起こった。長男(33歳)に私がかなりこっぴどく「叱られた」のである。
詳細は省くが、金銭感覚にまつわる事柄が発端であったことだけを記しておこう。
親がそのような理由で子どもに叱られるのは紛れもなく世代交代の証拠である。これまでも夫は自分が息子たちより体力的に劣って来ているのを自虐ネタにして「老いた雄ゴリラが若いゴリラに座を譲る感じ」と言っていたが、私の場合、それとは少し質の異なる失望感があった。
今までのような意見の相違からの口論とは違い、「母親の判断力が劣化している」ことに対して息子が苛立っているのが感じられたからだろう。
だが私とて長男の言うことに全面的に屈したわけではない。それなりに理論的な攻防を展開して、次男が私の援護射撃をしてくれた部分もあった。最終的にはお互いが非を認めてなんとか折り合いがついたが、翌日、夫とこの事態を振り返りながら「あ~あ」とため息が出た。
自分たちが親にさんざん同じようなことをして来たのを棚に上げて、とうとう、子どもに心配される日がやって来たのか、と情けなくなったのである。
夫も私も老齢年金を受け取る年齢に差し掛かっているのでいまさら驚くこともないのだが、今後の人生設計を思い浮かべる際に何となく車の「バックカメラ」を見るような気持ちになる。
けっこう遠くまで来たなあ。
後どのくらいの距離が残っているのかしら?
上手く停止位置に到達するにはどの程度、ハンドルの切り替えが必要なの?
そろそろスピードを緩めてブレーキを踏むべき?
といった具合である。
しかしそうは書いてはみたものの、実生活では「終活ノート」を付けたり、前回の記事のテーマとなった「家仕舞い」をしているわけでもない。夫のMなどは逆に「今の内にやりたい事をやっておかないと損」と考えているふしがある。
一例を挙げると、Mは2023年の10月から12月にかけて四国八十八ケ所を巡るお遍路の旅を敢行している。この計画を立てたのは彼の大学時代からの友人L(アメリカ人と日本人のハーフ)で、この人は数年前に心臓疾患に見舞われたことや、自分の父親が亡くなった年齢(69歳)に近づいていることもあり、行きたかった場所ややりたかった事を順不同で片っ端から網羅していくつもりらしい。
そのLが今年に入って新たな冒険を思いついた。ポルトガルのリスボンからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼の旅に出るというもので、Mもそれに付き合って来週からポルトガルに赴くことになっている。(ちなみに二人とも宗教的な側面には興味がないが、四国の時と同じでこういった巡礼の旅は昔から多くの人が辿るために道順が明確で、宿泊所にも困らないところが良いのだそうだ)
そしてMが3月末に帰って来るのと行き違いに、今度は私がボストンへと旅立つ予定だ。フィギュアスケートの世界選手権大会で選手のメディア対応の手伝いをするためである。
少し話を戻すが、私は中学時代にスポーツ全般、特にプロ・テニスやサッカーを観ることに夢中になっていた。日記に「将来はスポーツ専門のジャーナリストになりたい」と書いた記憶がある。
その後は「日仏英の三言語を操る同時通訳」を目標としたこともあったが、大学卒業を目前にして父親に「お前みたいなお喋りは他人の言うことを別の言語に置き換えるだけで辛抱できるわけがない」と言われて断念した。社会学者の道を選んだことを後悔しているわけではないが、通訳や翻訳という仕事の方が私には合っていたかも知れないとしばしば思ったことがある。
だが人生は何があるか分からない。2013年頃から面白半分でボランティアに応募したことがきっかけとなり、フィギュアスケートの大会でプレスセンターの手伝いをしたり、トロント国際映画祭で通訳をするといった機会に恵まれたのである。
それを10数年間、地道に続けて行ったおかげで徐々に人的ネットワークが構築され、60代半ばになって「スポーツ・メディア・語学」といったかつて最も関心のあった分野に携わることが出来ている。リタイアの身なのでフルタイムで働くつもりはなく、好きな仕事を好きな時にだけ請けることが出来るのも有難い。
そうだ、落ち込むのはまだ早い。人生に対して後ろ向きに進んでいるような気がするのは、先のことばかりじゃなく、来し方を振り返って懐かしく思うことが多いからだ。
それにバックカメラに映るのは暗いものだとは限らない。
以前よりは少し用心深く、でも留まることなく、これからもゴリラ夫婦は歩んでいくことにしよう。



