病院で発見した「大和撫子」?

文・広瀬直子 

この春、腰の手術をして、京都の病院に一ヶ月間入院した。

病室は男女別で、一室四人。私がいた部屋にも膝や股関節の整形外科手術のために高齢の女性が短期・長期入院したりしていたが、50代後半の私が一番若かったと思う。それぞれのベッドはカーテンで仕切られているだけなので、他の女性と、医師や看護師や見舞いにきた家族らの会話は筒抜けで、プライベートなことも聞こえてきた。(コロナとインフルエンザで面会は制限されていたが、家族のみ一定の時間来ることが許されていた)

私の向こう側には膝の手術をした90歳のおばあさんがいた。看護師との話を聞いていると、頭はとても冴えていて、論理的にてきぱきと話をしていた。毎日リハビリの理学療法士がやってきて、廊下に連れ出して歩かしたりしていた。会話からはリタイアするまでは料亭で仲居さんの仕事をしていたのだ、ということも聞こえてきた。かなり高齢ということから、リハビリはこの病院に入院している間には終わらず、退院と同時に他のリハビリ病院へと移っていった。その退院時には、お子さん、お孫さんが複数人迎えにきていた。看護師さんに「ありがとうございました」という声も最後まで明るく、しっかりと、ていねいであったことに私は感動した。

私と同じ、腰の手術をするために入院してきた女性も隣にいた。「長生きなんてするもんじゃない」と電話で姪に言っていたし、看護師が「(入れ歯洗浄剤の)ポリデントはここにあります」と言っていたのでかなり高齢なのだと思う。ベッドの上でもコルセットをずっとつけないといけないようで、体を横に倒すにも看護師さんのヘルプが要るようだった。排泄も自由にはできず尿の管とオムツをつけていた。高齢になると排便が簡単にできないのか、一度は男性の看護師さんの指に手伝ってもらって大きい方を出していた。おばあさんは「こんな嫌なことやらしてごめんなさいね」と慇懃に謝っていた。看護師が「仕事ですから」と答えたときには私は感動して涙がこぼれそうになった。

こんなふうに、同じ部屋に入院していた女性たちを「観察」ならぬ「聴察」していてたびたび驚かされたのは、彼女たちの丁寧さと我慢強さである。トイレに行くついでに男性病棟をそれとなく覗いてみると、男性は女性よりも概して態度が悪いようだった。「あんたらが俺を怒らせてる」と看護師さんに怒鳴っているおじさんもいた。

いずれの患者さんも整形外科の手術を受けている、ということは身体のどこかを切って骨を金属に入れ替えたりしているわけで、痛くないわけがない。

もちろん、同じ部屋には寝言のように「あー痛い、痛い」と繰り返していたおばさんもいた。しかしほとんどの女性はじっと耐え、看護師さんが手当をしてくれたら丁寧に「ありがとうございます」とお礼を言うし、病院食を食べ終えてとりにきてもらうと「ごちそうさまでした」と言っていた。私も「痛い」と騒ぎたかったし、病院暮らしのストレスの文句を他の女性と語りたかったのだが、他の女性がこれだけお行儀が良いので自分だけ騒ぐわけにはいかなくて、一生懸命我慢して大人しくしていたのだった。ジェンダーのストレスタイプ化そのものであることを承知で言ってしまおう。今回の入院で、日本のおばさんたちのあまりの辛抱強さと丁寧さに、筆者は「これがいわゆる大和撫子?」と思ってしまったのである。