「どっちの国が住みやすいですか?」~医療編
文・嘉納もも・ポドルスキー
日本を離れ、長年にわたって海外に住んでいる人なら「○○と日本と、どっちの国が住みやすいですか?」と聞かれた経験があるだろう。
私もしょっちゅうこの質問を受けるが、カナダに渡って38年が経った今となっては「どっちが住みやすいかなんて選べなーい、どっちにもそれなりに良いところがあるんだもん」と答えたくなる。「食」のように圧倒的に日本の方がカナダよりも優れていると言える分野はあるが、たいていの場合は簡単に甲乙がつけられないと思っているからだ。
現在、私は母の入院治療に付き添うために日本に帰っているので、「医療」を例に取ってこの記事を書いてみようと思う。
私は2010年辺りから日本とカナダの両方で病院の現場や医師とのやり取りにやたら縁がある。そして5年前までは自分が(深刻なことで)医者に掛かるのであれば絶対に日本で、と決めていた。

発端は2010年に友人のM子さんを病気で失ったことにある。M子さんは私の住むオークビル市に移住してきた日本人の女性だったが、スキルス性胃がんを発症し、ご家族や私を含む友人たちの懸命な看病も虚しく42歳の若さで亡くなってしまった。この時に思ったのは「もっと早期に病気が見つかって治療を始めていれば助かったのではないか」ということである。
日本では喉が痛めば耳鼻咽喉科、肌に異常があれば皮膚科、とそれぞれの専門医院に自分の判断で掛かることができるが、カナダではそうはいかない。
まずはファミリー・ドクターの診察を受けて、そこから紹介してもらうという面倒な手順を踏まなければならないのだ。どんな専門医にいつ診てもらえるのかはそのファミリー・ドクターの持っているネットワークに大きく左右され、数カ月先にならないと予約が取れなかったりするのは日常茶飯事である。(注:そもそもファミリー・ドクターにさえありつけない人も多く、そういった場合は町のウオーク・イン・クリニック(診療所)だけを頼りにして毎回異なる医者にその場しのぎの対処をしてもらうことになる。)
M子さんが亡くなったその翌年、今度は私の母が体調を崩した。母は持病の治療のために通っていたクリニックの血液検査で異常を指摘されたのだが、速攻で大きなK病院に紹介され、検査入院をすることになった。このスピード感に比べて、M子さんは何カ月もファミリー・ドクターに放置され、手遅れになってしまったのだと私は思った。
結果的に母はK病院でステージIVのすい臓がんと診断されたのだが、そこからもカナダとは事情が違った。私はすい臓がんの治療で最も成果を挙げている病院を徹底的に調べ、転院の段取りを整えた。希望する病院・医師に紹介してくれる「コネ」が見つかったのはさらにラッキーであったが、とにかく日本の医療事情におかげで母は治療・手術が難しいと言われた病気を克服することが出来たのである。この二つのケースが私の「医療を受けるなら日本で」という考え方の根本となったのだ。
それから15年が経ち、相変わらずアクセスの面では日本の方がカナダより優れていると感じているものの、実際に家族や友人たちが受けた「ケアの質」に関してはカナダもそう悪くないな、と思うようになっている。
以下に気付いた点を挙げてみよう。
- 「治療費」:加入さえしていればカナダの健康保険システムはほとんどの医療行為を無料で施してくれる。夫は2020年に自転車事故で鎖骨を折った際も、その5年後に人工膝関節の手術を受けた時も、リハビリを含めて全く治療費を払わずに済んでいる。
- 「医療スタッフの質」:私はオークビルの病院の救急科をここ数年で三度ほど訪れているが、長時間待たされることはさておき(日本の救急医院でも同じ状況だと聞く)現場の医師やスタッフは非常に有能かつ親切であった。また、夫の肩と膝の外科手術を行ってくれた外科医たちは素晴らしい腕の持ち主であり、対応も丁寧だった。技術面では日本の医師と遜色がなかったと思っている。
- 「アクセスと『コネ』の関係性」:カナダでは医療ケアへの平等なアクセスが謡われているが、それは皆が平等にアクセスのお粗末さに悩まされるということでもある。だがそんなカナダでも実は「誰を知っているか」で条件がかなり違ってくるものだと近年、痛感している。現に夫は同じ自転車クラブに所属していたドクターのおかげで速やかに良い外科医に掛かることができたのだ。コネが有効に働くのは日本だけではないということだ。
- 「手続き」:この点に関してはカナダの方が日本よりもずっと楽である。銀行や役所などでも感じることなので病院に限ったことではないが、日本に帰るたびに辟易とするのは書類の記入が異様に多いことだ。とっくの昔に手書きなどしなくなっている私にとって小さな欄に細々と書き込むのは苦痛である。かといって最近、流行っているタブレットでの入力もあまり感心しない。私よりも高齢の方々にとっては非常に不親切なシステムだな、と思う。
- 「所要時間」:日本の病院はとにかく時間が掛かる。予約を取っていても60分から90分待たされることは珍しくないし、診察が済んで会計に回り、実際に支払いが終わるまでもまた待たされる。多くのお年寄りが我慢強く座って順番を待っている光景はいつ見ても気の毒になる。
- 「デジタル化」:もう一つ驚くのは、2025年現在でも日本の病院間では紙に印字された「紹介状」やCD-ROMでの画像のやり取りがなされていることである。母のために通った医療施設は数知れないが、今回、最新の設備を整えた病院でも画像を収めたディスクを提出させられた。日本の各方面でのデジタル化はどうなっているのだろうか。
このように医療ひとつをとっても、日本とカナダのどちらが優れているのかは一概には言えない。これからどんどん年を取って行くにつれて、どこの国がどんな点で住みやすいのかを考える作業は重要になってくるので、別の分野でも議論を続けて行きたいと思う。