「移民社会」に住んで思うこと
文・空野優子
初めてトロントに来た時から、早20年がたとうとしている。
私は元々留学目的でカナダに来た後、卒業後しばらく労働ビザで働き、2010年に永住権を得て以来15年、移民として暮らしている。
カナダに来る前にアメリカに3年、フランスに1年留学したことがあり、どちらも私が育った日本の環境と比べるととても多様な人が集まっている場所であったが、外国人として生活しているという思いを強く感じていた。
それがトロントに来て、誰がカナダ人なのか外国人なのか分からない、カナダ生まれのカナダ人も、移民や難民としてカナダに来た人も、いろんな人が集まっている街に衝撃を受けた。
最初の数年はチャイナタウンの近くに住んでいたため、中華系のおばあちゃんに街で中国語で話しかけられることは日常茶飯事だったし、当時働いていたコミュニティセンターで、カナダ人の少年に、「あれユーコはカナダ人じゃなかったの?」と驚かれることに驚いたこともある。(これは私の英語がネイティブ並みだったからとかではなく、こちらには英語が流暢ではない元移民のカナダ人がたくさんいるためである。)アパートの水漏れ修理のために工事を呼んだら、英語を一言も話さないおじさんがやってきたり、そんな「多文化」経験が楽しかった。
さて、こんな私の経験はさておき、ここ数年、世界的に、そして日本でも、移民、外国人に対する否定的な見方が広がっているようだ。
まずはカナダ。カナダは何千年もの間、First Nations, Metis, Inuitと呼ばれる先住民が、独自の文化と伝統を保ち暮らしていた。ヨーロッパ人が彼らの土地を奪い入植を初めた16世紀以降の歴史は、移民の歴史とも言える。
私が留学した当時も、移民が多すぎると考える人はいたし、古き良きカナダがなくなっていくことに抵抗を感じる人もいたのだが、移民受け入れは経済発展に必要という考えが一般的であった。
それがコロナ禍後のインフレ、特に住居費の高騰が、外からやってくる移民が原因とみる考えが浸透した。世論の変化に伴い、ここ数年、政府は留学生、短期労働者、移民の数を全て削減する方向に政策転換している。
そしてまた心配なのが日本だ。日本でも多様化が進み、私自身帰国するたびに、日本で働く外国人を頻繁に見かけるようになった。いよいよ日本でも移民の受け入れも本格化するのかと思っていたのだが、そうではないらしい。
増える外国人のせいで日本人が迷惑を被っていると考える人、または漠然とした不安を抱える人が増えており、外国人を優遇しすぎているから「日本人ファースト」に戻そう、という考えも特に若い世代で支持されているという。
もう20年前になるが、トロント大の教育大学院に留学中、移民政策、特に移民の社会への統合のための取り組みについて調べる機会があった。その中で印象に残っているのは、「移民の統合は双方からの歩み寄り」という考え方だ。移民としてやってくる人たちが、カナダ社会に適応する必要があるのは当然だが、移民を受け入れる側のカナダ人、カナダ社会も移民の統合をサポートする努力が必要であり、また移民を受け入れていく中でカナダ社会も変わっていくという考える。
私自身、トロントに来て以来、いろんな人に助けられながら生活の基盤を築くことができた。多様性に寛容な社会のおかげで、日々の生活も、仕事の環境も、またミックスルーツを持つ子どもたちの学校での経験も、大きな心配をすることなく暮らすことができている。
比べて、海外から日本にやってくる人は、日本社会に適応したいと思っても、一般にもっと苦労しているのではないかと思うのだ。言葉の壁、日本の習慣やルールの違いなどは、周りのサポートがなければ本人の意思だけで克服するのは難しい。根強い差別や偏見も残る。
実際に日本に定住する外国人は増えているのに移民の受け入れを否定したり、ルールを守らない外国人を批判することで「国民の不安に寄り添う姿勢」を示す政治家を見ると、日本は外国から来る人にとってますます住みにくい国になってしまうのではないかと心配だ。
少子高齢化の進む日本では、これからも移民・外国人は増えていくだろう。それならば、外国人を問題視するのではなく、多様化が進む現実を受け入れ、皆が住みやすい社会を作る方向を模索するべきではないか。
日本とカナダは歴史的な背景が大きく違う。それでも、移民社会のカナダで生活している一人として、日本でも双方からの歩み寄りが進んでいくことを願う。
