退職後の移住ブーム考察―その光と影

文・サンダース宮松敬子

二年半ぶりの訪日

昨年の10月末から11月半ばにかけての二週間、私は二年半振りに訪日した。日々秋晴れの天候に恵まれ予想以上に楽しい滞在であったが、何と言っても聞きしに勝るレストランの美味で安価な外食は絶品だった。「カナダと比べるのは止めよう」とは思いつつ、頭の中では「これが10ドルで食べられるの?カナダなら少なくとも30ドルはするのに・・・」など等と計算している自分に何度も気付き苦笑した。

加えて公衆トイレのきれいなこと!店員の買い物客への応対の親切なこと!もちろん以前からそれ等は知っていたが、円安も加味されて外国からの旅行者たちが何処に行っても溢れんばかりなのは無理ないと再認識させられた。

異郷で迎える老境の人生

今まで私は訪日ごとに「日本ならではの事象や人物」「日加との関連性がある場所」といったものを捜しては訪れ、またその関係者にインタビューなどを試みて記事にしていた。

今回私が興味持ったのは、YouTubeやテレビでとみに名の知れた著名人で、新潟の十日町近隣の竹処と言う田舎町に30余年住み、荒れ果てた古民家を再生しユニークな住居に改築している建築士カール・ベンクス氏であった。

だが、私がお目に掛かりたかったのは83歳のその方ではなく、彼の妻であるクリスティーナ夫人であった。ベンクス氏より多少年上との事で80歳半ばかとお見受けするが、やはり素敵に再生された古民家(ヒートポンプ式の冷暖房の床)に夫と共に住んでおられる。

カナダを出発前にインタビューを何度か申し込んだものの、後日ベンクス氏の秘書から丁寧な「お断り」のメールを頂いた。もとよりそれは予測していたことだった。

決して出しゃばらず夫の陰で自分を生かし、夫には「彼女と結婚したのは料理が上手だから・・・」とまで言わしめる夫人。まるでひと昔前の日本人妻たちを彷彿とさせるそんな佇まいを感じさせるため、彼女お一人でインタビューに応じる事はあり得ないと思っていたからだ。

kominka

もちろんこれは画像でみる限りの判断であるが、私が夫人にお会いしたかったのは、日本語はおぼつかず生まれ育った国の文化とは全くかけ離れた異郷、冬には3mもの雪が積もると言う日本の片田舎で老境を迎えていることの心の有り様と、心構えなどを夫の言葉を借りず彼女の口から直接お聞きしたかったのだ。

私が何故そんなことに興味を持ったのかには理由がある。最近日本でよく見聞きするシニアになってから住み慣れた都会での生活を捨て、田舎で老後を送るのが一つの流れになっていることを知ったからなのだ。

加えて私自身も10余年前に40年ほど住んだ大都会トロント(オンタリオ州)を離れ、BC州の州都ビクトリア市に国内移住を体験しているからでもある。

退職後新天地へ移住

クリスティーナ夫人にお目に掛かれなかったのは真に残念だった。だが、Googleで情報を検索している折りに、奇しくも竹処の近隣の「限界集落」(この語源は1991年に当時高知大学人文学部教授大野晃氏が提唱したと言われている)であった上越市に、米国西海岸オレゴン州のシアトル市から移住し、ベンクス氏の再生古民家の一つに移り住んだある日系アメリカ人の妻Kさんと白人の夫Jさんの存在が紹介されていているのを目にした。そして彼女が語る自身のバックグランドに強く興味をそそられたのだ。

母親は戦前静岡からアメリカに移民として渡り、ご多分に漏れず戦時中は敵国人と言うことで強制収容所に送られ辛い経験をしている。その母親の口癖は「日本に帰りたい」だったと言う。その夢は生前ついに果たされることはなかったが、それを聞きながら育ったKさんはその思いを今自分が実現したことを望外の喜びと感じ涙さえ見せていた。

そして「アメリカでは、白人でないとコミュニティに溶け込むのは難しい」「でも日本に来たら、住んだことがなくても故郷のような気がした」と言う。

私は自分の耳を疑い「えっ、ちょっと待って!」と言いながらサイトを何度も巻き返して確かめた。日系人とは言え、彼女はアメリカ生まれのアメリカ育ち、英語が母語、教育もしっかりと受け、白人のアメリカ男性と結婚し、子供や孫までいる人の口から出るこの言葉に私は心底驚いたのだ。

今彼女は自分が寄って立つルーツを肌身で感じる日本での生活に大きな安堵の想いを抱いている。夫のJ氏は自然環境学を教えていた先生だったとのことで、学術肌の思慮深いお人柄を感じさせ「日本語を学び早く地域に溶け込みたい。自分の思っている事や考えを話し合いたい」と口を添える。70の手習いに大いなる拍手を送りたい。

すでにシニアになっており言葉が自由に操れない土地とは言え、それをも上回る喜びがあってのことだろう。体力的に問題がないうちは、夢が次々に膨らむことは疑う余地はない。幸いなことに数少ないながら残っている近隣の村人たちは、この日系人・白人のアメリカ人カップルを大歓迎している。

実はこのお二人に私は日本に到着後お会いしたい旨を連絡したところ、快いご返事を頂いたのだ。だが、何しろ関東地域から日本を横断して訪ねるには新潟は余りにも遠く、また他にも諸々の不都合が重なり非常に残念な思いを感じつつこのインタビューも見送ることになった。

しかしもしこのお二人がアフリカ、アジア、中近東等からのご夫婦であったとしても村人たちは同じように温かく迎えただろうか・・・と。いつもながら世に起こる事象を必ず裏側からも垣間見る私の習癖が頭をよぎった。

カナダの事例

Victoria

先述したように私も10余年前にカナダ国内では一番気候が温暖とされる西海岸のBC州の州都Victoria市に国内移住した。この町は本土とはGeorgia海峡を隔てたVancouver Islandと言う島に位置する。しかし名前が本土のVancouver市と同じため、多くの人が混乱し本土の何処かにあると勘違いをする。

それはともあれ、当地では冬に雪が降るのは2,3回程度でそれもですぐ溶ける気候が最大の理由のため、退職後のシニアがOttawa、Edmonton、Winnipegなど等の極寒の街々から移住してくる。

23年のBC州政府の某調査では65歳以上の人口の割合が最も高いのはBC州と仏語圏のケベック州で、中でもVictoria Islandの中ほどに位置するParksvilleと言う治自体では65歳以上が46%も占めている。

とは言え冬期はハワイ諸島周辺からの偏西風が本土のロッキー山脈にぶつかるため大雨をもたらすとかで鉛色の空の日が多い。それが堪らなく嫌で、極寒ではあるが青い冬空の見える古巣の街に戻る人も中にはいると聞く。

この人口増加にともないBC州行政の対応が追いつかないことの一つは、住宅と医療関係者の不足である。それを受けて最近は中近東やインド系の医者や看護師が目立つのを日々感じるが問題は全くない。

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若い時には予測は不可能な「歳を重ねる」と言うこと

先述のアメリカ人カップルの夫は、畳に布団を敷いて寝る事の心地良さを言うが、歳を重ねるに従って膝を曲げて床に敷かれた布団に潜り込むことがどれ程大変か、また足元がおぼつかなくなってから階段の上がり降りがどんなに大きな危険を伴うか、雪道の運転がどれ程難しいかなど等・・・私が耳にする周りのシニアの体験談にはいとまがない。先述のクリスティーナ夫人も近年は夫の計らいで、そうした心配のない新居に引っ越しをすると聞くが、30年前には想像できなかったことだろう。

人の命には限りがある。葬式は?墓は?日本では遺骨は灰にしないため、もし故郷に埋葬するとなれば迎えに来る家族の覚悟は?・・・。だが当然ながらそんな諸々のことはあっても、人は問題に直面しなければ分からないことが多い。

「やらずに後悔するよりやって後悔する方がいい」とはけだし名言だが、老齢の場合それは経済的余裕があってのことを肝に銘じておく必要がある。