過去13年間のエッセイを振り返る

文・嘉納もも・ポドルスキー

「Group of 8」に初めてライターとして参加させていただいたのは2013年10月である。それから13年近く、年に3回ほどのペースでエッセイを投稿してきたので、フォルダーにはちょうど40編のタイトルが並んでいる。

私はずっとカナダと日本でエスニシティ論や異文化コミュニケーションの分野で仕事をしてきたので、それらのテーマにちなんだエッセイを書くのがグループ内での役割だと思ってきた。

学術論文ではないので個人的な体験に基づく内容を心がけた結果、家族をネタにしたものがとても多くなっている。中でも「カナダ人の父親と日本人の母親の間に生まれた」二人の息子たちにまつわるエッセイが彼らの成長の節目ごとに散見されるのだが、リストを見返して面白いことに気付いた。

  • 2014年2月「ローマ字メッセージが来る時」:22歳の長男Lは普段、英語中心の生活を送っているが、悩み事があるとローマ字を駆使して日本語で相談をもちかけてくる
  • 2014年10月「決してたどり着けない国」:将来、日本で暮らすことを夢見ていた19歳の次男Sが、大阪でのバイト期間を経て気持ちが変わる
  • 2016年11月「灯台下暗し」:24歳になったLがひょんなことから日本の大学院に通うことになり、子ども時代の葛藤について語ったこと
  • 2017年6月「エスニック・アイデンティティの変遷」:22歳になったSがカナダを生活拠点として選んだ一方、25歳のLが日本で生活するハーフとして経験したこと
  • 2019年3月「朝の食卓で『鮭の産卵場所』について考える」;親子それぞれが二つ以上の文化的ルーツを持ち、そのバックグラウンドを受け入れる過程について
  • 2025年3月:「バックカメラに映るもの」:父母が初老期に入り、なんとなく不安と苛立ちを感じる33歳のL

2019年まではたびたび息子たちの経験について書いていたのだが、それから6年のブランクがあり、ようやく昨年3月に長男Lがエッセイに再登場している。だがそのエッセイとて彼が夫や私の老化を心配して苛立っている、という内容だったので以前のようなテーマでの取り上げ方ではなかった。

今日までこの6年間の空白について考えたことがなかったが、おそらく息子たちが大学を卒業し、職を得て、生活スタイルが安定期にあったからではないかと分析される。

二人とも年に少なくとも1回は日本にいるお祖母ちゃん(私の母)に会いに行くことが習わしとなっていたが、あくまでもカナダが生活の拠点であり、今後もそれは変わらないと思われた時期なのである。

ところが2025年末に転機が突如訪れた。

次男Sが勤めていた医療データの研究機関を辞め、転職すると言い出したのである。そしていつの間にか職探しをカナダだけでなく日本にも範囲を広げ、最終的に東京での就職が決まった。現在、Sは日本で家探しをしている最中だ。

12年前に大阪のホテルでベルパーソンとして4カ月間のバイトを経験した後、「俺、やっぱ日本、もうええかなって」と言って日本で暮らすことに見切りを付けたかと思われた彼が、である。その後はカナダの大学・大学院を経てトロントで安定した職に就いていた。

だがこの度の日本行きは、Sが再び日本で暮らしたいと強く思ったからというよりも、もっと現実的な要因があった。

日本の求人に応募すると面接などの全てのプロセスがさっさと運び、カナダでの就職活動が停滞している間に内定が出たのだ。息子の持っているスキルのコンビネーション(医療データ分析+日英バイリンガル)がより高く評価される場所に行く、という単純な需要と供給のメカニズムに従った結果だと解釈している。

もちろん、日本に数年住んでいる内にこれまで以上に日本文化が彼の生活の中心を占めるようになり、友人関係も日本でのものが増えて行くことは容易に考えられる。そして結果的に彼は日本で永住することになるのかも知れない。

だがSは日本への移住を何年も前から計画していたわけではなく、本当にひょんなことから大きな変化が訪れたのだ。そのポイントを見失ってはいけない。人生、何があるか分からないなあ、と私などは感慨深く思っているのである。

エスニシティ論で学んだことの一つに、「あるエスニック・グループ(あるいはその文化や歴史など)への忠誠心や帰属感は、必ずしも親・先祖から付与され、自ら継承したものだけが土台となるとは限らないし、生涯不動なものでもない」ということがある。むしろ人生の色んな段階で、周りの社会的状況によって、エスニック・アイデンティティは変遷し得るものだと教えられた。

長男が34歳、次男が30歳となり、日本とカナダの間を物理的にも心理的にも行き来してきた彼らの人生を振り返ると、学術的な概念がリアルな形を帯びて私の目の前で繰り広げられている感がある。

二人ともが、ある時はカナダ寄りのライフスタイルを選択し、ある時は日本で生活するという行動に出ている。だからと言って住んでいる場所にだけ帰属感を覚えているわけではなく、カナダにも日本にもその時々でより強い愛着を持っていたりするのだ。

Group of Eight のサイトに初めて投稿したエッセイの「北国でパパイアは育つか?」(2013年10月)では、カナダで子育てをする若い日本人のお母さんへのアドバイスを込めた。(当時は国際結婚をしてカナダに移住するのは主に女性だったからであり、同じアドバイスは男性にも当てはまる。)

異国に住むようになって、子どもに自分の母国語を教えたいと思うのは自然なことだけれど、それだけに躍起になるのは親子関係に悪影響を与えかねない。むしろもう少し余裕をもって、とにかく日本語や日本へのイメージを悪くしないこと、日本の文化を好きになってもらうことも大事だ、と。

この当時も自分と息子たちの経験をベースにしてエッセイを書いていたのだが、今はよりいっそう、二つ以上のルーツを持つ子どもがいる若い親御さん達に言いたい。

子どもがどちら(どれ)を生活の中でより重んじようとするのか、に関しては、年齢が進むにつれて親のコントロールがどんどん効かなくなってくる。「日本語を勉強してくれない」と嘆いても仕方がないし、自分が罪悪感を持つことも、子どもに押し付けるのも望ましくない。

親自身がカナダでちゃんと生活しながらも時には日本語で友達と楽しく交流する姿を見せ、日本文化の素晴らしさを折に触れて教えること。子どもたちが日本にいる祖父母たちとの関係を保つこと。それだけでも将来のオプションは広がるのである。

親子の関係はお互いが生きている間は切れないものなのだから、長い目で見て、その紆余曲折を楽しむことが良い。もうすぐ65歳になり、人生の終盤に差し掛かろうかという私だが、まだまだ息子たちがカナダと日本とどう関わっていくのかを興味深く見守っていきたいと思っている。