帰国子女に憧れてはいけません(その②)

文 ・ 嘉納もも・ポドルスキー

前回のエッセイ(https://thegroupofeight.com/2015/10/23/kikokushijo/)では、帰国子女体験の実態についての私の考えを述べた。

締めくくり部分で書いたように、このテーマでエッセイを書くきっかけとなったのは、「日本国内で日本人の親が子どもをインターナショナル・スクールに入れることについてどう思うか」という、知り合いからの質問であった。

最初に私の答えを明かしてしまうと、例外もあるにはあるが、たいていの場合は「お勧めしない」ということになる。以下、少しまわりくどくなるが、その根拠について説明する。

10年以上も前のことになるが、私は自分の専門である帰国子女研究の一環として日本のインターナショナル・スクール事情というテーマについて調べたことがある。その頃、日本人の親の間で徐々に起こりつつあった「インター・ブーム」に関心を持ったからである。芸能人の誰それがインターナショナル・スクールに娘を通わせている、という週刊誌の見出しが目についたり、当時、私の住んでいた神戸でもそこかしこに「インターナショナル・プレスクール」なるものが現われたりした頃だった。

両親とも日本人だというのに、なぜわざわざ日本の学校教育を回避して子どもをインターナショナル・スクールに入れようとするのか?

日本の学校では得られない、「何」が得られると彼らは思っているのか?

書物を読んだりするだけでは足らずに、私は自分の息子たちが当時、通っていた神戸の「カナディアン・アカデミー」(以下「CA」)というインターナショナル・スクールで、日本人の保護者たちにその疑問をぶつけてみた。

保護者から返って来た答えはおおむね、以下の三種類のコメントに集約できた。

1)「日本の教育制度に非常に疑問を持っています。受験主体で画一的なカリキュラムよりも、もっと自由でのびのびした発想を重んじるインターナショナル・スクールの教育を受けさせたいんです。」

2)「小さい頃から英語で教育を受けていれば、自然と英語が身につくでしょ?私は自分が英語で苦労したから子供は同じ目に遭わせたくなくって。」

3)「いろいろな国の生徒に囲まれて勉強していたら国際感覚が備わる。将来は国際舞台で活躍できる人間になってほしいから。」

1)はともかくとして、2)と3)に表れている親の意見は、実は日本における帰国子女イメージと密接につながっているのだ、と私は感じた。

ではそれぞれのコメントについて検討してみよう。

1)の日本の教育制度に関する評価だが、これは世界中のどの国の親に意見を聞いても自国の教育制度に対する不満が返って来るのではないだろうか。だからといって、全く異なる言語や文化に基づいたカリキュラムの中に子どもを放り込もうとするかは別問題である。

私自身、フランスと日本の両方で学校教育を受けているが、日本のカリキュラムや学校生活にはそれなりの良さがあると思っている。それを「画一的」であるとか、「受験主体」であるとか、それこそ画一的な見方をする日本人の親は、他国のカリキュラムの内容や成果について、どのくらい知っているのだろうか。インターナショナル・スクールで教えられている教科やその背景にある教育哲学に関してどのくらい理解しているのだろうか。

自分自身が受けたことのある教育であればまだしも(中には保護者がインターナショナル・スクール出身者であるケースも確かにあった)、外国で生活した経験さえないにもかかわらず、単に印象論で子どもの教育の方向性を決めるのは危なっかしいように思える。

しかもいったんインターナショナル・スクールという道を選ぶと、引き返すのは難しい。全く異なるカリキュラムに沿って学んでいるため、学年が上がれば上がるほど日本の学校に編入しにくくなって来る。また、CAなど一部のインターナショナル・スクールは高校卒業時に日本の大学への入学資格が与えられるようになったが、基本的には「各種学校」という扱いであるため途中までの学歴だけでは(文部科学省の見解によると)「就学義務を履行したことにならない」とみなされるのである。

親はその点もよくよく、考えておく必要がある。

2)親が英語コンプレックスを持っているからといって子どもをインターナショナル・スクールに入れるのはかなりの発想の飛躍だと思うが、言語習得のプロセスについても親の知識・リサーチの必要性を喚起したい。

帰国子女のイメージとして最も頻繁に挙げられるのは「小さい頃から外国で育ったので、ネイティブレベルの発音と語学力が自然と備わった」ということである。(これは私が日本の大学で教えていた「帰国子女論」の学生を対象に毎年、行なっていたアンケートの結果からも浮き彫りとなった。)

だが実際、言語習得はそんなに単純なものではない。毎日、英語が話されている環境にいるからといって、ある日突然、英語が喋れるようになるわけではないのだ。ある言語を習得する必要性を感じ、自分から意欲を持って学び、周りに相応のリソースがあってこそ言語能力は育つのだと私は考えている。

日本で、インターナショナル・スクールに幼稚園の時から通ったとして、それらの要素が揃うだろうか。一歩、学校の外に出れば皆が日本語を話し、テレビやその他のメディアは日本語が主流、親も親戚も日本語でコミュニケーションを取っている。これでは英語のインプットが絶対的に不足しているのは明らかである。

CAの小学校の校長先生にインタビューをした際、「日本人の親は自分たちの子供の英語のレベルをよく把握できていない。だから中学に上がる際に英語力が不足だ、と聞かされると愕然とする」と言われたことが印象的だった。

CAは100年以上の歴史を持ち、生徒数が600人を超える、日本でも大規模なインターナショナル・スクールである。スタッフも非常に充実しており、教育の質が高い。そのような環境でさえも、日本人の両親を持つ子どもに英語をネイティブレベルに達するまで習得させるのは難しいのである。しかし親は子どもが英語での会話には不自由していない様子から、てっきり英語での勉強にも問題がないと思ってしまっているのである。

3)インターナショナル・スクールに通えば「国際感覚」が備わり、将来は「国際舞台で活躍できる人」に育つのだろうか。

そもそもこのようなレトリックが横行しているのも帰国子女イメージの影響だろう。海外育ちの日本人がマスコミで活躍したり、国際機関で仕事を得たり、皇室に入って脚光を浴びたり、などの華やかなケースは確かにある。自分の子供にもそのような道を歩ませたい、という親心がインターナショナル・スクールを選ばせている気がする。

インターナショナル・スクールは確かに「国際的な環境」である。だがそれはいろいろな国籍の生徒がいる、という実態を指しているのであって、「出身国に関係なく、皆が仲良く調和するようになる」神秘的な空気が流れている、という意味ではない。子どもたちが生まれ育ちに関係なく交流するのはせいぜい、小学校低学年までであって、それ以降はだんだんはっきりとグループ分けがされていくのだ。

「昼休み時のカフェテリアにおける生徒の分布を見ればそれがよく分る」、というのはCAに通っていた頃の息子たちの談だ。高校生にもなると、日本語が話せない欧米系の生徒、英語力がネイティブ並みではない日本人やその他アジア系の生徒、バイリンガル(そして主に「ハーフ」))の生徒、それに加えて幾つかのエスニック・グループの生徒がそれぞれのテーブルに陣取り、それらが交わることはほとんどない、と息子たちは平然と言ったものだ。

だがミニ国連の幻想を打ち破るような校内のグループ・ダイナミクスはさておき、日本人が日本でインターナショナル・スクールに通うことにはさらに大きな問題点がある。

インターナショナル・スクールはそもそも、何らかの理由で外国で生活することになった子どもが自国の教育(あるいはそれに類似したもの)を受けられるように設けられた「出張所」のような機関である。多くの場合は現地の学校制度から隔絶され、そこに通う生徒たちは現地社会において多少なりとも「マージナルな存在」になる。

つまり、周りから見ても「あの子は我々とちょっと違う」、自分の意識の中でも「私は彼らとは同じではない」という二重の境界線が引かれているようなものである。

親の駐在のために世界中のインターナショナル・スクールを転々とする子どもたち、「サードカルチャーキッズ」(TCK)とも呼ばれる彼らついてはこのコラムで過去に紹介している。日本に来て、いずれはまた去るTCKならまだしも、日本人の子どもが自分の国で「マージナルな存在」として学校生活を過ごし続ければ、そのままおそらく一生、違和感を覚えながら暮らすことにならないだろうか。

さらに付け加えると、CAで「教育政策委員会」に参加していた私は、インターナショナル・スクールのカリキュラムがいかに注意深く「どこの文化にもなるべく偏らないように」をモットーとしているかを知って驚いた。

かつてはアメリカの文化や歴史に準拠したカリキュラムを用いていたのだが、多様な生徒層を考慮してあえてそのような「無文化」のスタンスを選んでいるのだ。CAの教員が「インターナショナル・スクールの子どもたちは妙に文化というものに無頓着だ」と言ったことにも納得がいった。

一つの国の文化に縛られない、と言うと聞こえが良いが、逆を返せばどこの文化にも属することができない、ということでもある。

親の仕事のために文化や国家の枠を超越して過ごす子どもたちにとって、そのような教育はいたしかたないだろう。だが自国から一歩も離れていないにもかかわらず、自国文化に背を向けて、無文化の学校環境で学ぶことの意義は一体、何なのだろうか。

ここまで力説しておいて今さら言うのも拍子抜けだが、実際日本国内でインターナショナル・スクールに子どもを通わせている日本人の親はほんの少数である。リスクを考えると、いくら帰国子女に憧れを抱いていても二の足を踏む場合が圧倒的に多いからだろう。

だがCAに限って言えば、今でも全校生徒の約4分の1、つまり150人近くが日本人であるという統計が学校のホームページに掲載されている。中には外国で育った帰国子女も含まれているだろうが、大半は海外での生活体験のない生徒たちだ。その子たちの将来に親の選択はどのような影響を及ぼすのだろうか。

私は祈る気持ちで見守っている。

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