サーロー節子さん・人を動かすアドボカシー

文・三船純子

G8初の試みとなったイベント、サーロー節子さんのドキュメンタリー上映と講演会 で経歴を紹介させていただく際に、自分がソーシャル・ワーカー(社会福祉従事者)であったことも忘れずに含んで欲しいと、ご本人から依頼があった。

空野優子さんも9月の記事で言及された通り、節子さんは現ジャパニーズ・ソーシャル・サービス(Japanese Social Services/JSS)の前身となる非営利・慈善団体であるジャパニーズ・ファミリー・サービス(Japanese Family Services/JFS)を、立ち上げたソーシャル・ワーカーである。

トロント大学で社会福祉の修士号を取得後、東京家裁の研修機関、関西学院大学での仕事をされた後は、トロントのYWCA (Young Women’s Christian Association of Greater Toronto)、教育委員会、及びHugh McMillan Centre for Children with Disabilities (現Holland Bloorview Kids Rehabilitation Hospital)などでソーシャル・ワーカーとして仕事をされた。その後1990年に日本語で日本人移住者や邦人へのサポートを提供する団体の必要性を感じ、JFSを立ち上げたのだ。

ご自分の仕事を通し、カナダの広域及び地域行政などを利用する日本人の中に、慣れない英語のせいで十分なサポートを受けられない人が大勢いることを目の当たりにしたためである。

オンラインでの情報収集もままならなかった時代である。今でこそ日本語でのビジネスや、医療・福祉・メンタルヘルスなどを専門職にする日本人移住者も増えてきている為、サポートを必用する人にもサービスの選択の幅は少しずつだが広がってきているが、節子さんがJFSを立ち上げた時代には、病院、警察、及び行政サービスでの通訳手配や、英仏語以外での情報提供の必要性などは配慮されていなかった。

他の言語サービスの必要性に比べ、その人口の少なさからカナダ社会にニーズが認められてにくい日系コミュニティーの為に、JFSのようなサポート団体が設立された功績はとても大きいと思う。

JSS (jss.ca) は紆余曲折ありながらも、現在4名のスタッフ(サービスを提供するサポート・スタッフ3名とオフィス事務担当スタッフ1名)と、理事役員及び大勢のボランティアに支えられて運営を続けている。節子さんがJFSを立ち上げた後、財政的な問題から閉鎖を余儀なくされた際にも、ボランティアの尽力により地道にサービスの提供を続け、28年前に設立されて以来、数多くのボランティアの方々の貢献に支えられ乍ら、日本語を母国語とするカナダ在住者(短期滞在者含む)とその家族などにサービスを提供し続けている。

ソーシャル・ワーカーは就労する分野や機関によって、その仕事内容は多種多様だが、相談者やクライエントの代弁をしながらのサポート、彼らが直面する問題が社会または行政の組織や方策に基因する場合には、その改革の為に権利擁護・政策提言活動(Advocacy)をしながら、積極的支援をしていくという理念がある。Advocacyはサポートを必要とする人々と仕事をしていく上での基本的な就労理念ともいえる。

13歳の時に原爆を体験した被爆者として核兵器廃絶を訴えてこられた節子さんは、ご自分の辛い経験を積極的に語り続けることで、それを世界的なレベルでのAdvocacyにされた。「当時のことを思い出しながら話すことは、決して容易いことではないのよ」と話してくださったことがあった。それでも13歳の少女の脳裏に焼き付いた壮絶で悲惨な情景を伝承し続け、聴く人の心を打たずにはいられない説得力のあるAdvocacyになったのだ。

86歳という年齢を感じさせない情熱と行動力を持って、ICAN (www.icanw.org)の事務局長であるBeatrice Fihn氏と共に2017年・ノーベル平和賞を受賞された後は、益々忙しく世界各地での講演依頼をこなされておられる節子さん。人を動かす反核活動家として、これからもお元気に活躍されることを願う。

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