カトリックの総本山、バチカンからフランシス教皇カナダを訪問

文・サンダース宮松敬子

 癒しの旅

 7月24日から6日間に渡って、カトリック総本山のバチカンからフランシス教皇(86)がカナダを訪れたニュースは世界を駆け巡った。当然ながらカナダにおいては、TV、新聞、ラジオ等など、あらゆる媒体が連日トップニュースとして詳細を報道した。

フランシス教皇

 旅程は最初にエドモントン市(アルバータ州 )を訪問し、次にケベック市(ケベック州)に行き、最後に北方に位置する3準州の一つで、イヌイット系人口の多いヌナブット準州の準州都イカルイト(Iqaluit)市で全旅程を締めくくった。

 膝の痛みを抱え移動が不自由な教皇は、全ての行程を車椅子、歩行器、杖を頼りに廻ったが、この訪問を『癒しの旅』と位置付けていた。

文化遺産の遮断

 カナダでは1800年代後半から1996年代まで、この国の元々の住民であったファーストネーション(インディアン)やイヌイットなどの先住民の子供たちを、親元から引き離しIndian Residencial School(以下IRS)と呼ばれた学校に強制的に送り寄宿生活をさせたのである。中には3歳くらいの幼な子もいたそうだが、集められた子供の総数は15万人にも上ったと言われているものの、実態は今でも謎のまま。IRS自体は140ヵ所も存在したという。

 当時この政策を率先して推進したのは、連邦政府の初代首相であった保守党のJohn A. Macdonald(1815~1891)であったことは、カナダ史の中で明らかにされている。しかしこの広大な国に一つの政策を行き渡らせるには、実質的に運営する組織体制が必要で、その任の約60%をカトリック教会や関連団体が請け負っていた。

当時IRSに集められた先住民の子供たち

 だが価値観の違うIRSという共同生活を強いられたことによって、先住民たちがそれまで何年もの間、親から子へそして孫へと代々受けつがれて来た民族間の社会的基盤である文化、言語、宗教、習慣と言ったお互いの繋がりを示す諸々の伝承が、不幸にも断ち切られてしまったのだ。

 寄って立つこうした文化遺産の遮断が現在も影を落とし、今を生きる先住民の若者たちのアイデンティティーの喪失に繋がり、ドラッグ、アルコール依存症、将来への失望感など負の連鎖に拍車を掛けていると見る人もいる。

性的虐待

 親から離された寄宿生活では、例え兄弟姉妹が同じ宿舎に入れられていても、英語以外でコミュニケーションを行うことは厳しく禁じられた。この掟を破った場合には食事が制限されたり、おびただしい体罰が課せられたという。またその食事も、時にはウジの湧いたものが配膳されたりで、常に空腹と戦うことを余儀なくされた子供たちが大勢いたのである。

 中でも一番堪えがたく口にするのもおぞましい体験は、寄宿生活を通して教育や生活指導を行い、子供たちに精神的なサポートをする筈の神父たちによる「性的虐待」であった。

 それでもそんな劣悪な環境を生き抜いた、すでに年を重ねた高齢者たちの「生き物語」は、時に公共の場で吐露する機会はあっても、大方は無視されて来た。今でもそのトラウマに悩まされ、悪夢と戦いながらも正常な人間としての生活を取り戻そうと必死に生きているサバイバーが数知れず生存しているのである。

 すでに何年も前に遡って、当時の諸々の問題が国と先住民たちとの間で協議され、各種の補償が成立したものもあるのだが、問題が立ち消えになっている案件も数多く残されている。

 何はともあれ先住民の間では、当時IRSの運営に大きく係わっていたのがカトリック教会であったことから、現在の教皇がカナダを訪問し過去の事実に対し謝罪することを切望していた。

墓標のない先住民の子供の墓

 だが、ここに来てそれが実現した大きなきっかけは、昨年5月にBC州本土のカムループス市にあった元IRSの跡地から、墓標さえない215の子供たちの遺体が発見されたことが大きな要因の一つであったと言えるだろう。しかし驚くことにカムループスは最初の発見場所であっただけで、その後も幾多のIRSの跡地で同じように子供の遺体が発見されており、将来その総数がどのくらいになるかの見当はつかないと言う。

子供の遺体が発見された元IRS跡地の一つ

 これは当時何らかの理由で子供たちが寄宿舎で死亡しても、親元に遺体が還されることもなく、密かに葬り去られたことを意味しているのだ。

 そのことによって今年4月(本来は昨年12月の予定がCovid19の蔓延で延期)に先住民の一大訪問団がバチカンに出向き、教皇のカナダ訪問がもたらす重要性を伝えたのである。カトリック教会が絡む蓄積された根深い怨念を抱えた問題だけに、教皇は絶対に外せない旅と位置づけようやく実現したのである。

訪問先での熱狂的歓迎

 訪問した各都市では熱狂的な歓迎を受け、野外ステージ(エドモントン市郊外)、歴史的な教会(ケベック市内)、学校の校庭を使っての歓迎集会(イカルイト市)などに出席し、ミサを執り行ったり、また先住民たちとの個々の対話もこなすなどして全行程を無事に終了した。

訪問先で歓迎を受ける教皇

 その間教皇は幾つものスピーチを行ったが、その度に重ねて先住民が受けた過去の苦しみに対し「哀悼」「憤怒」「恥辱」を感じると胸の内を明かした。行く先々で述べた真摯な言葉や態度に胸を打たれた人々は多かったものの、当時の神父による「性的虐待」について触れたのは二番目に訪れたケベック市でのスピーチが初めてであった。「何と言っても幼く脆弱な子供たちに対する取り消すことの出来ない過去の出来事である性的虐待は犯罪であり、断固とした処置が求められる」と弁明したのである。

 これは長い間問題視されていながらも、置き去りになっている司法判例を示唆したと思われる。当時子供たちに対し繰り返し行った性的虐待の事実が明らかにされていながらも、引退後フランスに逃れ隠遁生活を送っている一人の神父のカナダへの身柄引き渡しを要求しているのだ。その時期が何時になるかは今のところ分からないものの、近い将来実現する可能性があるのではないだろうか。

ジェノサイド(同化政策)

 また旅の最後の訪問地イカルイト市からバチカンに帰る機内で行った記者たちのインタビューに答えた旅の締めくくりの教皇のコメントも、カナダにおける先住民の今後の道筋に大きなインパクトをもたらすことと確信する。

 「結局先住民に対してカナダが行った政策はジェノサイド(同化政策)であったと言えるか」という記者の質問に、教皇はハッキリと「Yes」と答えたのである。

 それまでこの言葉を避けて来た教皇であったが、旅の最後の最後に「過去に起こった事柄に対し許しを乞いたい」と再度口にしながら「これはジェノサイドであったことを認めそれを非難したいと思う」との言葉を残したのである。

 6日間の全行程の旅は、教皇と先住民たち、加えてカナダの一般国民にとっても、計り知れない示唆を残した意味深い日々であった。

 だがこれで横たわる数多くの問題が解決したわけではない。

 約束しているバチカンによる先住民への補償問題、また先住民たちからの盗品で、今はバチカンの美術館に保存されている数多くの美術工芸品の返還問題等など・・・、残された問題は数々あり、この癒しの旅は『終わりの始まり』と言っても過言ではないようである。

 

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