人に頼ることの大切さをカナダで学ぶ
文・空野優子
年が明けて私の海外生活も20年を超えた。特に2006年より住んでいるカナダ、トロントは、今では仕事と生活の基盤となっていて、外国人だからといって困ることはほぼない。
それでも何年暮らしていても、日本の文化・教育で培ったベースというのは変わらず、多様なバックグラウンドを持つ人たちと接する中で、自分の日本的な部分に気づくことがある。
その一つが、細かいことを気にしてしまう性格だ。
例えば、仕事と子育てをこなしていく中で、やるべきことができないことがある。子どもが熱を出して仕事を休まなくてはいけなかったり、学校に提出する書類を忘れたり、期限に遅れたりという度にストレスになったり、やることを溜め込んで焦って悪循環になったりということがたびたびある。
もちろんカナダで暮らしている人も、性格はそれぞれで、このような心境は日本人に限ったことではない。ただ、周りの同僚、友人を見ていると、そのあたりの心の持ち方が上手、というかいい意味で細かいことを気にしない人が多いように思う。
そして、もう一つ、私が見習いたいと思うのが、何かあれば人に頼るという点である。
例えば友人家族と公園に遊びに行った時のこと。子どもの一人が転んで膝に擦り傷ができたのだが、友人はごく自然なことのように、(巡回中のお巡りさんも含めて!)通りがかりの人に絆創膏を持っているか尋ねるのである。些細な例だが、職場でも、頼んだり、頼まれたりをよく経験する。
アフリカ系フランス人の夫もまた、文化的なこともあるのだろうが、とても頼み上手だ。
引っ越しの時には、友達を4−5人呼んで手伝ってもらう。もちろん自分が呼ばれれば喜んで手伝いに行く。車のバッテリーがあがってエンジンがかからなくなった時には、お隣さんに車を横に停めてもらって、ケーブルで繋げて、即解決。夫がいないときに業者を呼んだ私とは大違いだ。
ある日家で長男に片付けを頼んだ際、「ママはどうしていつも『悪いけど〇〇やって』っていうの?」と尋ねられた。自分で気づかないうちに、「悪いけど」と前置きするのが口癖になっていたようで、カナダで育った息子にはその言葉遣いが不思議だったのだ。
日本にもお互い様という言葉があるように、もちろん助け合いの習慣はある。それでも人に頼むのは、なぜか気が引けるというか、少し勇気がいるのである。
そんな心境を説明しても、夫は「だって聞いてみるだけだし、もし優子が頼まれたら喜んで引き受けるでしょ。相手は嫌なら断るだろうし。」まさに正論だ。
そうなのだ。困った時にすぐに人に助けを求められれば気持ちは楽になる。それに、大抵の人は人に頼まれる、人の役に立てるということは、迷惑どころか喜ばしいことだ。
2023年、必要に応じて周りを頼り、気を楽に持って過ごすことを目標の一つとしたい。