外国人1割の時代を迎える前に

文・斎藤文栄 

2003年は、戦後初めて合計特殊出生率(1人の女性が一生のうちに産む子どもの数の指標)が1.3を下回り1.2905を記録した年でもあった。同年7月には少子化社会対策基本法が制定され、以来、少子化対策としてさまざまな施策がとられている。

それから20年。2023年に発表された合計特殊出生率(前年値)は1.26と、出生率だけみれば、この間とられた政策がまったく功を奏していないことがわかる。

ただ、注意しなければならないのは、少子化社会対策という時、私たちはどうしても出生率の増減ばかりに目がいってしまうが、少子化社会になって必要なのは「数」を議論することではなく、いかに個々人の「権利」が守られているかどうかが重要だと世界人口白書2023は指摘する。いう。この点については、先日、朝日新聞のGLOBE+に「少子化対策、増強すべきは「権利と選択」 世界人口白書が指摘した社会を強くする方法」という記事を書いたのでそちらに譲りたい。

ところで、少子化対策としては「移民」という選択肢も再び議論になっているようだ。経済界、労働界、学識者等が政策提言をする令和臨調(令和国民会議)は、人口減対策に関する提言の中で、「2070年には全人口の内外国人が1割になる」という国の推計をもとに、移民問題を含めた議論をすすめるように訴えている。しかし、日本社会は、はたして外国人が1割になることへの準備ができているだろうか。

先日、7月末から10日間、来日して日本の状況を調査した国連のビジネスと人権に関する作業部会の専門家2名は、ミッション終了ステートメントの中で、外国人労働者について「劣悪な生活状況、出身国の仲介業者への法外な手数料の支払い、また、同じ仕事をしながら日本人労働者よりも賃金が低いケースなどを耳にしました」と報告している。入管の収容者や技能実習生へのひどい扱いが度々ニュースになっていることからも窺えるように、日本では労働者に限らず外国人の権利が必ずしも守られているとはいえない。まずは、現状の外国人労働者の待遇を改善していくことが急務だ。

移民労働者については、受け入れ国での受け入れ体制に加え、送り出し国のことも考えなくてはいけない。

今年になって、カナダのマニトバ州では、不足する看護師の受け入れのため、フィリピンから300人以上の看護師を受け入れると発表した。しかしカナダ国営放送(CBC)の報道によれば、フィリピンでは慢性的な看護師不足に陥っているという。保健省の担当官はフィリピンでは看護師が35万人も不足していると嘆く。そんな中でカナダの他の州、アルバータ州やサスカチュワン州やカナダ以外の国から看護師を求めるリクルートメント・ミッションが後を経たないという。

先進国が自国の利益のために開発途上国から移民を募ることで、途上国がさらなる窮状に陥ることは避けなければならない。

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ところで、先日、移民として他国で働く個人個人には、本当に色々な事情があるのだなと感じた出来事があった。

私が現在住んでいる西アフリカのコートジボワールで、国際NGOの事務所で働く女性に出会った。彼女はカリブ海のハイチ出身で、この仕事のためにハイチから夫と子ども2人を連れてコートジボワールの都市アビジャンに移住してきたという。最近よくニュースでも取り上げられているが、ハイチは、政情不安に治安悪化が重なり、仕事もないどころかとても家族が安心で暮らしていける状況ではないという。彼女は、とにかく安全に生活できる国で仕事を見つけるため、海外のめぼしい仕事にかたっぱしから応募したと語った。ハイチではフランス語が公用語でもあるので、同じく公用語がフランス語の国で仕事が見つかって良かったね、と言うと、彼女は「(2人の)子どもたちは将来の選択肢が広がるようにアメリカン・スクールに入れて英語で教育しているの」と語った。アメリカン・スクールはコートジボワールの外国学校の中でも学費が高くて有名でもある。夫も働いていない中、子どもの教育にかける思いに、ハイチの窮状が透けて見えた気がした。

彼女がコートジボワールに来たように、日本へ来る外国人の中にも、平和な日本では簡単に想像できない様々な事情を抱えて来る人たちがいるに違いない。移民として来る人々を単なる労働力として見るのではなく、その人の人生においてその国で働くことがどのような意味を持つのか思いを馳せる想像力を持つことが大切だ。改めてハイチの彼女の話を聞いて思った。

*移民大国カナダについては、本サイトでもいままでに様々な記事で取り上げてきています。直近の記事はサンダース宮松敬子さんによるこちら。ぜひそちらも読んで下さい。