「ブラック部活」からの離陸~高校野球の将来は?

文・鈴木典子

筆者は2018年2月の当サイトの記事で、日本の部活動が「ブラック」であるということを書いた。

その後、大学アメフト部での事件が起き(鈴木2018年6月記事参照)、異常な高温だった夏場の部活動中の死亡事故を含む熱中症の発生、更に通称「甲子園」と呼ばれる、高校野球全国大会が今年100回大会だったことによる野球部活動への注目など、「部活動」のあり方が問われるようになってきたように感じる。

スポーツ庁(元オリンピック水泳金メダリスト鈴木大地氏が初代かつ現長官)は今年3月に、「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」を発表した(注1)。中学校では休養日を週2日以上、1日の活動時間を平日2時間、休日3時間程度とするなどの基準が明記された。また、都道府県、学校設置者、校長による運動部活動方針の策定、地域スポーツ環境の充実推進などが盛り込まれた。高校においてもこのガイドラインを原則適用するとしている。

9月の16・17日には、部活動を当事者である高校生が見直そうと、静岡聖光学院高等学校で「部活動サミット」を開催した。広島県安芸南高サッカー部など6チームの部員が集まり、効率的な部活の実践例などの情報を交換し合った。このサミットの開催経費がクラウド・ファンディングによる募金でまかなわれたことも時代の流れを感じさせるが、本来生徒の自主的・自発的活動である部活動、そもそも「楽しみ」であるスポーツを本来の姿に戻し、自分たちの手で運営しようという試みが成功している例として、大きな可能性を示したものだと思う。

また、上述の甲子園100回大会直前の本年8月、野球界を幅広く取材しネットメディアを中心に報道を続けているスポーツジャーナリスト氏原英明氏が、「甲子園という病」を、更に、朝日新聞編集委員(スポーツと社会担当)中小路徹氏は、「脱ブラック部活」をそれぞれ上梓した。

運動部活動や試合において、体の不調を押して死力を尽くす姿を「激闘」などと讃える報道で正当化、神聖化することの多いメディアが、そのあり方を見直し、今変えなければ本当に子供たちが危ないと言う警鐘を鳴らす著書として、また、現実的、具体的な対応策を提案するものとして、とても興味深いが、同時に改めて強い危機感も持った。

筆者は今年2月6月の当サイトの記事でも書いたが、日本のアマチュアスポーツの北米のそれとの大きな違いは、学校の部活動が活躍の場所の多くを占めていると言うことではないかと思う。特に野球については、硬式・軟式共に、高校の部活以外でプレーする機会は非常に限られ、チームの活動は年功序列で上級生がスタメン(スターティング・メンバー、先発=レギュラー)になるのが普通で、ポジションもほぼ一つに決まる。アマチュア野球の頂点は、高校部活の全国大会である「甲子園での優勝」に設定されてきたが、頂点に達するための試合は、殆どがトーナメント制なので、一度負けたらそこで終わり、「勝たなければ何にもならない」のである。心身ともに発達途上の子供たちは、いやおう無く、チームが勝ち続けるために戦い続ける流れに巻き込まれ、そのために全力を尽くすことが正しいと思い込む。制度、時間、体力などの限界から、複数の部活に参加することは例外的で、幼い頃から一つのスポーツに集中することが良しとされる…。

甲子園同様、100年以上にわたって作られてきた今の「高校野球」は、変わることができるのだろうか。

私の限られた知識の中ではあるが、上記の常識を覆す「例外」も出てきている。昨年日本プロ野球のロッテにドラフトで選ばれた和田康士朗さんが、高校では陸上部に属して、クラブチームから富山の独立リーグを経てプロになったこと、今年の甲子園優勝校大阪桐蔭の根尾昴さんが、中2までスキーでも日本代表レベルで活躍していたこと、などである。また、少し古いが、2008年に甲子園大会でベスト8まで進んだ慶應義塾高校の「エンジョイ・ベースボール」(同校監督上田誠氏著書あり)もあるが、これは上田氏が米国で野球指導を学んだことを、日本でも実践できることの証左といえるだろう。

野球を愛する若い日本人たちが、心身を壊したり、野球が嫌いになったりせずに、一生このスポーツを楽しむことができるような環境が整う日が遠からん事を願う。

(注1)

http://www.mext.go.jp/sports/b_menu/shingi/013_index/toushin/__icsFiles/afieldfile/2018/03/19/1402624_1.pdf

 

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